前述の通り金閣寺に触れます。
自分で読む気のある人は読むことをお勧めしませんし、例によって雑記なのでかなり悪い思想が入ります。 (書きながら追記:人格に対する言及等をしているかもしれませんが、基本的に文中の人間かこれを書いている自分に対するものです。人を傷つける意図は全くありません。)
まずあらすじを交えた言葉を書きます。
単刀直入に言ってしまえば、溝口に自分の影を重ねながら読んだ感じがしました。
生きてきた環境、人格によるでしょうが、もしかしたら誰しもが一度は感じる異常性を繊細に描いた本なのかもしれません。
これがベストセラーになっている事から察するのであれば。
きっと人に対して劣等感を感じやすい人間、人に虐まれた、人に裏切られた人間は何処か捻くれて同じ様な思考を持っている感じがします。(これは自分が同タイプだから勝手に肩を組んでいる様な気もしますが)
また、溝口は自分の底に座る劣等感が人格のベースになっているタイプでもあると思います。 これが正直に書くと非常に味わい深い。ここが自分の今回の文の主題になってきます。
取り上げるテーマとして、1にまず有為子との一件。
一応書いておくと有為子は主人公の溝口の近所に住んでいた美しい娘です。
ルックスが良くもなく、口下手な溝口は残酷にも客観的に見れば「誰からも好意を寄せられる対象に見えない人」な訳ですが、自分は本当は魅力のある人間だと思い込む溝口。
確か夜に自転車で有為子に会いにいったけれど、軽くいなされるどころか馬鹿にされてしまうんですよね(うろ覚え)。
ここで、有為子に対して惹かれていた感情が裏返り黒い感情になる。
この過程が、当に相互的な愛を経験していなかった障害と言っていいものの弊害だと思います。
自分が気持ちを寄せていた事に対しての見返りのなさへのもどかしさ、苛立ち。
人間の現実的な醜さを感じます。(僕はいい意味で書いています)
そして、この後、有為子が軍から脱走した恋人と逃げようとするわけですが、 ここで脱走の手助けと軍への裏切り行為をした有為子は自分のものになるはずだと溝口は考えながら有為子と脱走した海兵を野次馬と一緒に追いかけるのですが、この思考回路もかなりリアルだと思います。
やはり客観的に見たらあり得ない。現実には必ずなり得ない世界線。
それを都合よく現実を歪曲させ解釈してしまう脳の構造は、自分を守る為にあるのでしょうか。
また、「この有為子が悪い行動を取った事で有為子は遂に自分の手に入る」という思考も、劣等感に苛まれている影を感じます。
この後の長い溝口が金閣を燃やすまでの時間に、度々様々な所で人と有為子を重ねて見ている所も、未練がましく、弱い人間らしくて好感が持てます。
弱くどうしようもない人間は、当時は行動を取る勇気もないのに、人の好意だけを望んで、妄想がいつからか現実と混ざって見分けがつかなくなって、取り返しがつかなくなってからも未練に取り憑かれてしまうのではないでしょうか。
2,鶴川周りの話
ここも印象深い。というより、やはり書きやすいのは人間周りです。
人間周りではなく、美の概念についての談義ができる人間はどれだけ賢いのだろうかと思い知らされます。
さて、鶴川という人物ですが、簡潔に言えば、溝口から見ると清廉でカラッとしていて、自分という人間と現実を繋いでくれる太陽の様な人物です(そんな感じの言及だったはず)
要するに、内気で暗めな溝口に対しても話しかけてくれる明るい子だったのですが、溝口と一緒に大学に入って少しすると、突然事故で亡くなってしまいます。
この事は、溝口にとって途轍もなく大きな事件であり、かつ外界と繋がっていた鎖が一本切れてしまった様なものです。
これも一つのきっかけとなって、溝口は更に自分の内的世界に引き込まれていく(自分にはそう見えた)のですが、これもまた味わい深い出来事です。
溝口という人間は自分の暗い面を覆おうとはしていない為(というか吃音が原因で覆いようがない)、なかなか人は近づいてきません。
しかも父は他界して、母は浮気をしていた上に、息子を金閣寺の住職にすることだけに躍起で純粋な愛とはかけ離れていて、老師も信頼を置けない。
唯一ある程度は純粋な信頼を置いていた鶴川。
その友の死が、当時の溝口にとって意識をしていなくとも、頭のどこかで作用している。
そんな感覚だったのではないかと想像すると、妙に現実じみた感情が心を襲います。
3,有名な言葉
「美は…美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ。」
この台詞。
この金閣寺という本を読んでいて、思わず少しにやついてしまった所です。
これまでの肝心な時に金閣が現れてしまう経験等をひっくるめての言葉でしょうが、この言葉自体が割と好きです。
全くこの本の解釈とは異なってしまうかもしれませんが、美を愛そうとしても自分と釣り合わない事が重くのしかかるから、最早好むどころか敵対する存在であると認識するしかないという意味合いだったとしても好きです。
結局私は自己否定に苦しんでいる人間が好きなだけかもしれません。
・読んだ後のお気持ち
元々ここ最近何もしていないから、せめて色んな考え方を吸収しようとしたら更に思想を強める様な本を読んでしまいました。
この前にSidney Sheldonの「ゲームの達人」も読んでいた(いまだに後半の途中だけど)のですが、やはり一般的な本と文学的な本ではかなり違いますね。当たり前だけど。
ゲームの達人は単純なワクワク感、どうなるんだろうな〜で読んでいた感じだったけど、
金閣寺は淡々と溝口の足跡を辿り、心の黒い部分を吸いながら読んでいる感じでちょっと読むのが大変でした。
だからやっぱり文学作品をパラパラ読んでく人、すげ〜と思います。尊敬。
後はここだけに書いて発散しておきますが、やっぱり僕は人間の負の感情の方が居心地がいいのかな、と自分を理解し直せた気がします。
分かる人は共感してくれると思うのですが、過去の後悔に縛られてもう前へとは行き辛い時があります。
考えても仕方がないけれど、思考の根底が負に犯されていると感じる時があります。
それでも、最後に金閣を焼いた溝口と同じ様に、もし何かしらを行動に移した後は一時的でも生きようと思えるのが人間なのかな、と思います。目標があるときはそう思うし。
取り敢えずまた適当に本を読みつつ時間を過ごして目標(取り敢えずはプログラミングと英語かな?)を探します。
ここまで書き上げてから思ったけど、でももし有為子が血迷って溝口を受け入れてたら溝口は暗い道を歩まなかったかもしれないし、勿論金閣だって焼かなかったかもしれませんね。
人間って小難しいことを語る割に単純で嫌ですね。
俺も可愛くて読書好きの娘からおすすめの本聞いて読むだけの生活してたらこんな捻れ切った人間じゃなかったかもしれませんね。ここまで単純だと不思議なものです。
色々書いて結局3000文字くらい書いたみたい、しかも2時間くらいかかってますね。
もう遅いんで黙ってugly duckling聴きながら寝ます。おやすみなさい