お久しぶりです(と言っても人に見せる用のブログではないが)
今回の書いた目的→自分自身の脳以外の記憶媒体に受験の経験を残すためが3割、後で自分の何かしらの役に立つかもしれないからが3割、こっそり自慢したいからが3割、受験時がピークになった時、自分を慰める用と保険をかけるのが1割です。
このようにして、受験の経験を書いてみようと思います。
(大学名は同大学の人に出来る限り見せたくないのでサジェスト除けで大学名が分かる人には分かる程度に適当に誤魔化してます)
↑ 11/21 これ、読み直したときに見にくかったのと、多分もうバレることないので書いちゃいます
① ~高2の2月まで(勉強無関係部分)
経歴は、小学校時代にSAPIXでそこそこいいクラスを守っていたがクラスのテストで精一杯だった為疲れてしまいドロップアウト、過去問を解かずに突撃して敗北。
もう暫く勉強はしないと決意して過ごす。
ただ、親に言われて英語だけ塾に通い、高1中に英検2、数検2級は一応取っていたという感じです。
堕落と好きな事をしたいからという理由で通信制高校に進み、のんびり競プロ(3割)とゲーム(7割)をして過ごしていました。
特筆すべき事はなく、fgoの周回の奴隷だった気がします。
後は特筆する事項はやはりなく、麻雀を始め、プリコネ等に手を広げ、ゲーセンに通う、所謂ゲーム廃人でした。
しかも、現世にはYoutubeという友達少なめ人間にも優しく、楽しく時間を吸ってくれる化け物が存在しています。
これらに時間を注ぎ込み無駄にするけれど、たまに何もしていない不安から青チャートを触る日々。
これの繰り返しで完全に日常を構成していました。
こうして気が付けば高2の10月、瞬く間に高3へというタイミングに流れ着いていたという訳です。
ここで自分を客観視した際にあまりにも何もしていなかったので、一念発起。
JOIに応募して、枠拡大の恩恵を賜り、JOIの本戦に出ました。
しかし、本戦では問題の誤読を起こしCランク、かつ特段新しい人との交流もなく、といった感じで終わりました。(終わってしまったの方が正しい?)
②高2 10月~高3 2月(勉強部分)
高2の10月。
ここまではプログラミングをしていると主張している(実はゲームと動画に費やしている)というぬるま湯状態で生きていました。
しかし、たまたま模試を受けていた東○の主任が「え、この時期から普通は化学も物理もみんなテスト(共通テスト模試)受けるよ(笑)。○○君は受けないの?あり得ないよそれ(笑)」
とゴリゴリに詰められ、押しに弱い為敗北し、物理化学を受ける事に。
自分は完全なノー勉で行くとプライドが折られてしまうタイプだったので、泣く泣くスタサプの物化(高2)をある程度見て受けました。
結果的には化学50点、物理30点くらいとなり、勉強へのプライドが高いが故に「俺はプログラミングが本業だから」とそっぽをむき、高3の2月まで再開する事はありませんでした。
なんなら、Youtubeの怪しい動画を参考に「英数が高2は大事らしい、物化は高3からでいいだろう」と笑っていました。
これ、今思えば結構間違いな気がしますが。
(追記)後、共通テスト同日は受けていましたが、普通に数学もボコボコにされてました。
1A50くらい、2Bは40くらいでした。
③ 高3 2月~高3 6月
この期間は高校の受験メンターから「共通テストレベルを固めよう!」と言われて共通テストとかセンターでとにかく点を取るための基礎固めをしてました。
プラスで、物理がご臨終状態だったので物理も個別指導の塾に週一で通わせてもらう事に。
元から化学の方が得意だったので、これで事件は解決だなといった具合になれるはずという甘い見積り。
この頃では、高1の2月から始めてた英語の読解が身を結び、多分共通テスト模試のリーディングが7割安定
してきて、数学で稼いで600点ぐらいで固まっていました。
ただ、ここから総合点はなかなか伸びる事はありませんでした・・・。
後、スクショの履歴を見る限り、この時期はJOIも終わって割と真面目に勉強していたっぽいです。
遂に受験だ、俺もやらないと!的な使命感があったのでしょう(この時期とかにちょこちょこ勉強してたのがあとで効いたのかも)
④高3 7月~9月
夏になり、一般的な高3が塾に篭って勉強している時期だとは思いますが、暑くて身が入りませんでした。
典型的な「明日から本気出す」を地で行っていました。信じ難いことです(?)
しかも、共通テスト模試では偏差値65程度あったが、駿台模試を試しに受けたら総合で偏差値50ぴったりくらいで、記述力が無いらしい事が分かってきていました。
だから、危機感はあるけれど、本命のオープンが7月なので、それまでに勉強をすればいいと先延ばしして、逃げている状態でした。
そしてそのオープンを受けた結果は、第一志望、第二志望学部それぞれE、D判定でした。
正直、まあ、だろうなと結果を受け入れたのを覚えています。
後、余談ですがこのとき先程出てきた物理化学を受けろと言ってきた東進にて
ゴタゴタしていました
ここに当時のツイートがあったので埋め込んでおきます。
受験が終わった3月現在から振り返るとお前の成績は終わりは合っていた気がします。
まあ、人格否定までされたのはどうなの?とは今でも思っていますが。
*1
俺はやれば出来るからまだここではこんなもんだろう、と余裕を持っていました。
⑤高3 10月~12月前半
ここで2回目のオープン。
しかし、判定は1回目と同じでした。
ここで初めて冷や汗が流れます。あれ?おかしいな?という感覚。
本来、得意な数学は大丈夫で、残りの英語と理科が出来るようになれば盤石、本当に頭の良い人は東大なり京大に行くからここなら俺でもいけると考えていた筈なのに、点数を見ても100点強ボーダーに足りていませんでした。
この辺りでゲームジャンキーなのでゲームは続けているが、ゲームメインではなく勉強の合間という感じに6月以来久し振りに戻し、慌てて勉強を開始。
分からない分野を探して潰す事を念頭にひたすら一分野一分野をまとめていきました。
結局これがなんだって一番強いやり方な気がします。ひたすら逃げてきた分野(化学なら糖や高分子、物理なら原子、波)を潰す日々。
これを10、11月と続けた事で大分どの分野にも対抗できるようになっていきました。
後、プラスで数学の応用対策でYoutubeで一部に著名な最強教師の某モンスター先生の授業を聞き始めました。
この授業の板書を丁寧に取り、いつでも見直せるようにして、知識を確実に入れていくようにした事で数学も大分磨けていった気がします。
それと、この辺りからスタサプの地理と古文漢文も始めました。
しかし、共通テストでも点を取りたいと始めたはいいが、塾の先生は大学のタイプ的に共通テストはいらないからやらなくていいと言われ、けれど高校の受験メンターからは文系科目もちゃんとやれと言われ、板挟みになり、困っていました。(結局やった)
この時期に受けた共通テスト模試の結果は
11月が
国語 (90-40-26)156
地理 55
1A 80
2B 89
R 82
L 81
物理 57
化学 76
Σ 676
12月が
国語 55-7-38(100)
地理 75
1A 64
2B 58
R 84
L 88
物理 62
化学 68
Σ 599
でした。
⑥高3 12月後半~1月前半
先述した様に、12月の最終の模試で点数が100点落ちており、第一志望の足切りがもう少し下振れてしまうと引っかかる可能性がある、という事に気が付きます。
共通テストは前期では足切りにしか使わないけれど、良い点を取りたいというプライドもあり、結局12月後半~1月前半まではほぼ共通テスト対策に使いました。(後、共通テスト利用でどっかしらも決めてしまえたら気持ちが楽なので是非とも決めたい)
また、この時期はもう逃げられないという恐怖から、怠惰の化身である自分にしては珍しく一日12時間程勉強していました。(ただ、箱根駅伝とニューイヤー駅伝だけはこっそり見た)
この時が一番辛かったです。勉強をしたいわけでは無いが、していないとしていなくて大丈夫なのかと焦燥感に駆られる様な感覚に囚われていました。
見てないでしょうが、受験生の人は必ず共通テストをもっと早くに終わらせて、しっかり8割以上を安定して取れる状態を目指しておきましょう(自戒)
また、一応理系志望でしたが、直前の数学が合計で122/200とかなり下振れていたのも不安の要因になっていました。
結果としてはここで慌てた事で勉強が捗ったとも言えますが、生きた心地がしなかったです。
勉強の詳しい内容としては、割と共通テスト、センターの過去問では得意な化学をあまりやらず、地理、数学、物理の対策に時間を割き、リスニングは実力を維持する為毎日ある程度聞くという形でやっていました。
⑦共通テスト本番(Σ695、77%)
ここまで冗長な文章を書きつつ、一応体験記なのでここに共通テストの印象に残った事、経験をつらつらと書き殴ります。
1/14、15が本番でしたが、13日の夜は眠れませんでした。
12月後半から発症した「なんで俺、勉強こうなるの分かっててしなかったんだろう?」病に襲われていました。
自分の場合、仮に数学でこけると点数に不安要素が出てくる為、変な問題が出ない事を祈りながら横になり、目を瞑って夜が明けるのを待っていました。
10分毎ごとくらいに起き上がり、そろそろ朝になっていないかな、と淡い期待とともにデジタル時計を見るが
、時間は3時20分のような中途半端な時間を差していて。
また横になるしかないのか、と絶望的な気持ちで布団に入る事を繰り返していたのは執筆している3月でも割と鮮明に覚えています。
書いていると思いますが、やはり共通テストは地獄だった気がします。センターほどパターン化されていない性で不安も大きいですし。勘弁してほしいものです。
結局、予定では6時30起床でしたが、5時50には目がぱっちりと空いている状態で、起き出して出発の準備を始めました。
朝食用に買っておいたチキンサンドをお茶で流し込み、1日目で一番直前の暗記が効く地理を眺めてから会場に向けて出発。
特に遅延もなく到着し、会場に到着。
会場では、会場に入った後、更に試験開始n分前に教室に入れる様になる仕様の為、教室の手前で待つ形となりました。
時間が余ったので周りを見渡し、緊張した面持ちで単語帳を捲るJKや、明らかに同高の仲間で集まったらしい男子軍団が居て、一般的な生活を送っていたらこんな感じだったのかな、とポケーっと考えたりしながら教室の解放を待っていました。
その後、直ぐに教室が開き、少し古めの校舎で本試を受けることになりました。
受けた教室はトイレに近く、かなり環境としては当たりを引けていたと思います(場所によっては仮設トイレしかなく、並んで苦しかったっぽい)
肝心の本試の内容はというと、1日目は自分が理系であり、かつ特段試験方式も文系科目は変化がなかったので何とかセーフ、と言った感じでした。
ただ、リサーチ不足で共通テストは国語の内現代文しか使わないところもあったりするのですが、調べ忘れてて帰ってからその事を知り、現代文に時間をもう少し割けばよかったと後悔したりしはしました。
後は、リーディングは火事場の馬鹿力もあり、20分ほど確か余らせたのですが、なぜか前半が理解できませんでした。なぜなのか・・・。
余談ですが、本試をなんとか終えた後、会場が前年事件があった会場に類似する点がある会場と言うこともあり、終了から会場退出を許されるまで約1時間30分かかりました。その間電子機器も制限されていて、暇で辛かったです。
1日目の夜はこの様なことや疲労もあり、スッと眠ることができました。
2日目
朝の時点で言われた通り自己採点をしておらず、体感最低6割は取ったから、しっかり繋いでいこうと言う意識で受けに行きました。
理系科目側で320/400、文系で300/500で620、足切り突破は確実にできるし、文系科目ももう少し取れてるだろと言う目論みです。
理系科目は自分のどちらかといえば専門科目だったので、書き残すという意思も含めて少し細かに述べておこうと思います。
・数学1A
二日目最初の科目です。
気持ち的には、自分的には安定しない科目かつ去年の例が有ったのでとても不安でした。
当時の受ける直前での脳内シミュレーションでは、解ける所を30分位で回して、残りを40分で行ける所を削る形で行く予定でした。
結果としては、シミュレーション同様30分で回したが、
最初の問題で不等号が逆になっていたことに気が付かない(-1<x<3が3<x<-1のような状態、慌てており、最後まで気が付かず)、
答えがまともに出せず当たるまで試行、
微分を利用して導出等かなり悲惨でした。
回答時間終了後、周りを見渡すと、洩れなく全員の耳が真っ赤に染まっていて、改めて数1Aの共通テストがどれだけのリソースと頭の回転を要求しているのかを感じました。
去年より易化してこれですし、センター時代に戻してもいいのではないでしょうか・・・・・。
ちなみに、不等式の問題の凡ミスを解答用紙を回収された瞬間に発見し、頭が真っ白になりました。
有名な冊子を逆さまにしておくことで数1と数1Aを間違えないことには成功しましたが、やっぱりドジをする人間はどこかしらでミスをします(実は12月の共通テスト模試でも最初の20分数1を解いており、ミスをしていた)
・数学2B
こっちは数1Aを引きずらず、むしろここで逆転をするんだ!という意気込みで受けました。
結果的にはかなりの易化であり、手応えありかつ時間も余ってGoodでした。
なので、あまり記憶が残っていません。というか、数1Aで脳のリソースを使いすぎて、記憶が既にこのあたりから曖昧です。
・化学(理科1つめ)
自分は化学のほうが物理より得意タイプだったので物理のほうが共通テストでは体感楽でも化学と決めていました。
しかし、結果的にこれはミスでした。
センター時代と比べて、化学は体感かなり難化しており、かつ問題冊子を開いた一問目からあまり普段目にする問題ではなかったため、これを見た時点で冷静に物理も見て物理に第一解答科目を変更するべきでした。
けれど、自分の対共通テスト物理能力は2週間で成した付け焼き刃だ、という思い込みがあり、変更に踏み切れず、明らかに難しいと感じながら化学を第一解答科目で提出しました。
体感は割と解けない問題があり、周りも解けないことを祈りながら物理に入りました。
・物理(理科2つ目)
いつまでこの状況が続いていくか今の所わかりませんが、共通テストは基本的に化学より物理のほうが簡単です。
なので、よく考えればわかることでしたが、予想以上によく解けました。
これはシンプルに作戦ミスです。
物理の共通テスト対策を直前までサボっていた結果、物理のほうが点を取りやすくても自信が持てない→でも共通テスト利用では理科一科目しか見てもらえないし、点数が高いのは物理だった!→失敗(自明)の構図です。
なので、家に帰って冷静になってから第一解答科目を物理にするべきだったという後悔で葛藤する羽目になりました。(とはいえ、解いている時は呑気なものでうわ〜、こんなに解けるようになってたか、良かった〜ぐらいしか考えてなかった)
結果は
地理B 79
国語 120
英語R 86
L 81
数1A 71
数2B 94
化学 75
物理 91
Σ695 でした。
⑧1月後半
高校のテストと模試で週末を潰されて辛かった覚えがあります。
後シンプルにメンタルの状況が悪かったです。
この時期は今頃一単元ごとにやり直すわけにも行かず、受ける大学の過去問を解いてそこで間違えた単元の復習に力を入れていました。
⑨受験本番(2月)
ここで受験の結果と所見を書き残しておきます。
実力的には絶対受かると言われて送り出されましたが、数学が体感半分状態でした。悲しい。
正直、ここは理数系ここは問題難易度がなかなか高いと思います(自分は受かったが、正直問題の難易度的には余裕だとは全然思えない)
ここでは青チャートを開いて勉強している人が多く、赤本を持ってきてる人はあまりいませんでした。
あと、現役でここを受けていないので、実質現役生だと主張する浪人生がいました(???)
ここが受けた中で一番自信アリでした。
化学で失敗こそしたけれど、残りの科目に自信があったので、受かってるとしたらここかな、という感じでした。
この大学の受験生は割とみんなが赤本持っていたり、やり込んだ参考書を取り出して勉強したりしている感じでした。
こっちはこの大学のほぼ数学が合格が決まる入試だったのですが、受験層が少し尖ってる感じでした。
自分が教室についた時点で後ろの席のやつがバリバリにプロセカしてて目を疑いました(???)
この時点でだいぶ疲れており、スキマスイッチのユリーカがめちゃくちゃ原動力になっていました。ありがとう・・・。
結果は、数学で運良く見たことある問題と集合が出て受かりました。(運ゲー)
2/8 理科大(情報工)(☓)
一番この大学で自分が受験する中では難しい学部だったのですが、シンプルに物理がわからなすぎて落ちました。
1,3,5と頭を使ってきたこともあり、物理を受けてるときのメンタルがとてもつらかったです
2/12 慶應大(☓)
母曰く、この日が一番自分の運勢がいい日だったらしいですが、普通に数学がわからなすぎて落ちました。
受験生の上品ステータスが高く、斜め前の人がアニメから出てきたお嬢様みたいな人、前の人がザ・生徒会長みたいな雰囲気でビビりました。
受け終わった後、これだけ外見に気を使いながら、頭もいい人たちが世の中たくさんいるんだなあと思い、少し鬱になりました(怠惰な人間には出来ない為)
2/16 早稲田大(未受験)
ここも受ける予定でしたが、メンタル的にきつくなってしまい、2/26の国立に全力をかけるため、親と相談して受けないことにしました。
結果的には2/26が引っかかったのでこれで良かったと思っています。
2/25,26 東京工業大(△)
この大学が一応第一志望でしたが、メンタル的には坊っちゃん大が決まっていたのと、周りの受験生の勉強ガチ勢っぷりに怯え、着くまではやれるところまでやれれば、という感じでした。
しかし、キャンパスの本館が思っていた以上に国立らしくて良く(実は行ったことがなかった)、モチベが上がり、気力を絞って受けることにしました。
結果としては、数学がうまく行ったが、残り科目はあまり実力を発揮できませんでした。
なので、落ちたかなと思っていたのですが、ここは3つ学部をかけるので、3つめが引っかかっており、悩んだ結果ここに進学することにしました。
3/12 💡大(未受験)
ここを受験するか、前期の大学(学部が専門外)かで悩みましたが、
新しいことに挑戦しつつ、専門だった情報分野は自学自習することでなんとかなると判断し、
前期の大学に行くことにしたため、
受験しない形になりました。
結果として、第一志望の別学部に進学という形になりました。
・総評とあとがき
・社会性の必要性(かなり愚痴を含みます)
まず、ここまで書き終わったのは4/3なのですが、
書き終わるまでに感情の変化がありました。
これを書き始めたときにはなんだかんだいって上位の国立に合格していたため、かなり心の中で自分はやれば凄いんだ!と思っていたのですが、
段々と第一志望だった学部に合格した人たちが
オープン模試で1位だったなどといった話や、えげつない両の勉強道具が写った写真を見て、どうやら努力量でかなり負けていたらしいということがわかってきました。
これを知って、只感じるのは、人並み外れた努力を重ねる人間の異常性です。
自分もサボりながら勉強をしてきたとはいえ、自分が今12月後半~受験までの時間をやり直しても、
これ以上は頑張れなかった、自分が自分である限り、これ以上の努力を重ねられなかったと思います。
その類の人間が、何かしら、自分以外に理由があったから出来たのか、ネジが外れているからなのか分かりませんが、正直その類と正面からやり合うのは無理な気がします。
社交性に欠ける部分(新しい事に対してかなりストレスを感じてしまう)が自分にはあるので、内向的な作業である勉強ではよほどの異常者相手でなければ負けないという自負心がありましたが、
勉強がとてもできて、社交性もある人間が世の中にはいます。
これをおいた上で考えるのは、仮によっぽどのドロップアウトを経験していない人間なら、勉強を早めに始めつつ、勉強だけで生きていくから、社交性なんてなくなって平気だ!などといった尖った思考を溜め込まないことの大切さです。
というか、折角良い大学に入ったはずなのに、現在進行系でこれを書いている翌日、適当な人間に話しかけ、交友関係を広げないといけないし、あわよくば先輩から過去問をせびったりしないといけません。
結局どこに行っても社会性が必要ということです。
諦めて社不を寧ろそこまで隠さず、そんなに人目を
気にせず生きていったほうが良いですし、適度に生きていったほうが良いのでしょうね
・これから
俗に言う鬱マインドに入った時期に上の社会性についてを書いたのでだいぶ暗いことを書いていますが、寧ろ社会性に自信がないからこそ、他の所を磨くべきだというのは間違いありません。
人間は目標のない状態で負荷がかかることが延々と続く時間が一番辛い(と自分は思う)ので、
・TOEIC、TOEFL(6月に大学から強制受験)の練習
・授業をしっかり受ける
・競プロをしっかり習慣づける
・運動(RFAとか筋トレ)をする事でメンタルの安定化を図る
・尖らない(おそらく一番大事だが、自分の容姿、社会性に自信がないほどこれが難しい・・・)
ことを頑張ろうと思います。
終わりに
・大学は折角受かったので頑張ってお勉強しようと思います。
・正直に言うと根底が社不はもう治らない気がしますが、頑張って生活をしていこうと思います。
・もはや書いてることが趣旨であった受験から離れていますが、おそらく書いている現在書きたかった事がこれだったので、
これをそのまま残すことでこの時こんな気持ちだったなと振り返ることができるのでしょう。
・9mm、厭世的な面があると思っていて、今聞いていたけれどそれこそ思考が俺は人とは違うんだ、俺は外れものなんだ、につながる気がするので、しばらく聞くのをやめたほうがいいのかも・・・・。
(大好きだけど)
・なにか問題があったら訂正します
また、大学生活がある程度落ち着いたら記録を兼ねて近況も書こうと思います
では。